あのネットノベル界の重鎮、ワタル先生の書き下ろし小説がついにあしょらんどに登場。
今度の新作はハチミツより甘くちょっぴり切ない青春の一コマを描いたラブストーリー!

 

本編はこの後すぐ!!

 


 

世界に愛が拒絶されて

目次 : 1 2 3

1

砂糖を溶かしたハチミツよりも甘く
 二人は愛を、ささやき合う。
「大好きだよ、美春。世界で一番愛してる」
「私もよ、修二。あなたのことを、この世の誰よりも愛してるわ」
 修二と美春。共に高校一年、十五歳。
 穏やかに言葉を交わしながら、修二は美春の髪を撫で、美春は修二の胸に身を寄せる。二人は抱き合い、ただただ情熱的に愛し合っていた。
 授業の合間の休み時間。教室の前の廊下で――
「またやってるよ、あのバカップル」
 耳に聞こえる嘲笑。しかし廊下を行き交う生徒達の目を憚ることなく、窓から刺す陽光を浴びながら、二人は至福の時を過ごし続ける。
 ふとして二人は見つめ合い、唇を重ねる。
 濃厚な甘い香りが、周囲を満たした。
「おっ、相変わらずお熱いこって」
「ほんとあの二人って仲いいよね~」
「あそこまで露骨にされると責める気にもなんねぇや」
 ひたむきに、純粋に、互いを想い。
 愛し合う二人を、皆はバカップルと称しながらも、微笑をもって見守っていた。
 修二は美春の髪に掌を触れさせたまま、優しく語りかける。
「美春、覚えているかい? 俺たちの出会いを」
「ええ、もちろん覚えているわ」
 数ヶ月前、入学式の日。
 校舎裏で満開の花を咲かせていた、一本の桜の木の下で、二人は出会った。今はもう、その花を見ることはできないが。
「桜は散ってしまっても、俺の心に咲く愛の花は、永遠に満開だよ」
「素敵……。私の心にある愛の花も、あなたという日の光に照らされて、いつまでも満開に咲いているわ」
「美春……」
「修二……」
 見つめ合い、愛し合う修二と美春。
 二人は幸せだった。
 順風満帆。愛さえあれば他に何もいらない。
 こんな日々が、永遠に続くと思っていた。
 しかし、その愛を揺るがす不幸は、災厄は。
 ある日突然訪れた。

 

2

いつもの朝だった。
 枕元で鳴り響く目覚まし時計の音で、美春は目を覚ました。ベットから起きて学校に行く身支度を整え、リビングのテーブルに用意してある朝食に手を伸ばす――そんないつもの朝。
 美春はハニートーストを頬張った。こんがりと焼けたパンの風味と蜂蜜の甘みが口の中に広がる。もぐもぐと咀嚼しながら、紅茶のカップを手に取った。
「――んっ、おいしい。それにすごくいい香り」
 その味と香りは、いつもの市販のティーバックのものではない。口にするのは初めてだが、しかしどこか覚えのある味。
「ふふっ、そうでしょう。お母さん特製、アップルミントのハーブティーよ。体にすごくいいんだから」
 おいしいと口にした娘の言葉に気をよくして、キッチンのカウンター越しに母が上機嫌に言った。美春はコーヒーより紅茶が好きだ。香りがよく、ストレートで飲んでも苦味が薄いから。
「へぇー……」
 紅茶は毎朝飲んでいるが、ハーブティーを口にしたのは初めてだった。飲んだ後にほのかな爽快感がある。とても味わい深い。
 美春はふと、何かを思いついたように口を開いた。
「お母さん」
「ん?」
「このハーブティー、水筒に入れてくれる?」
「いいけど、どうして?」
「学校に持っていて、修二にも飲ませてあげたいの」
 修二もコーヒーより紅茶派だ。二人のちょっとした共通点。美春は修二の喜ぶ顔を思い浮かべ、ふふっと微笑んだ。
 しかし、次の母の言葉を耳にして、その笑顔は凍りつく。
「……修二くんと、まだ付き合ってたの?」
「え?」
「別れなさい」
 母は食器を洗う手を止め、しかし背を向けたまま言った。
 ――何? 今、お母さんは何と言ったの?
 母は二人の仲を快く思っていたはずだ。これまで咎められたことは一度もなかった。なのに……
 あまりに唐突のことに、美春は動揺した。
「どうしちゃったの? お母さん、そんな……いきなり別れろだなんて。悪い冗談はやめてよ」
「冗談? 何を言ってるの、お母さんは本気よ」
 ゆっくりと振り向いた母の表情からは笑顔が消えていた。目が完全に据わっている。人が変わったように冷酷な声を出す。
「あなたたち、今すぐ別れなさい。金輪際の交際は、一切認めないから」
「……なんでいきなり、そんなこと言うの? 修二のこと、いい子ねって、お母さんだって言ってたじゃない。なのに……」
「いいから、別れなさい。あなたたちを見てると、イライラするのよ」
「そんな……」
「別れなさい」
「……」
 ――なんなの?
 意味がわからない。先ほどまで上機嫌だった母が、態度を一変させ、苛立ちを顕にしている。少し怖いくらいだ。
「お母さん、なんかおかしいよ。私、もう学校行くね。帰ったら、ちゃんと話そ」
「話すことなんかないわ。とにかく、絶対に別れさせるから、そのつもりでいなさい」
「……。いってきます」
 爽やかな朝の空気は、どこかに消え去ってしまった。美春はそんなリビングから逃れるように早々と立ち上がり、家を後にした。

 

3

修二と美春は、学校から徒歩十分程の距離にある小さな公園を、登校の待ち合わせ場所にしていた。美春はその入り口で修二が来るのを待ちながら、頭を悩ませる。
 今朝の母はなんだったのだろう?
 どうして突然、別れろなどと言ってきたのか? 何か理由があるはずだが、思い当たるところがまったくない。
 昨日までは何事もなかった。それが、今朝になっていきなりだ。
 悪い冗談としか思えないが……
「おはよう美春。ごめん、遅れちゃって」
 修二はいつもより五分ほど遅れてやってきた。走ってきたので、少し息を切らしている。
「何かあったの?」
「……いや」
 息を整え、修二は微笑みを浮かべて「いこうか」と言った。
「……」
 美春は修二の隣を歩きながら、その横顔を覗った。既に微笑みは消え、浮かない表情をしている。何かいつもと雰囲気が違う。美春は心配に思い、今一度訊いた。
「ねぇ、どうしたの?」
「うん……」
 修二は口篭りながら、小さく言葉を漏らす。
「今朝、父さんと母さんに、言われたんだ……。美春と別れろって」
「え……?」
「昨日まで全然そんなこと言わなかったのに、今朝になっていきなり……。理由を聞いても、俺たちを見てるとイライラするとか、気分が悪いとか言い出して。俺わけわかんなくて、頭きちゃってさ。色々言い返したんだけど、全然取り合ってくれなくて……」
 同じだ、と美春は思った。
「私も今朝、お母さんに、修二と別れなさいって言われたわ」
「ほんとに? どういうことだ――何か心あたりは?」
 美春は首を振った。
 修二は訝しげに口を開く。
「二人同時に……か。あまり考えられないな。俺は冗談としか思えないんだけど……」
「でも、それにしては性質が悪いわ。やっぱり私たちが何かしたのかしら……」
「う~ん……」
 考えても、やはり答えは出ない。
 憂鬱に悩みながら、学校へと歩みを進める。
 ふと、ほどなく先に校門の見える通りで、修二が足を止めた。
「……? どうしたの?」
「……」
 修二は黙して、周囲に気を留めていた。その視線を追って美春も周囲を見回す。
「な、何……?」
 思わず、脅えた声が漏れる。
 異変が起こっていたのだ。
 道ゆく人が、二人と同じ制服を着た周囲の者たちが、皆足を止め、こちらに視線を向けている。
 眉をひそめた、冷たく、刺すような、険悪な目つきで、二人を睨んでいる。
 ――朝のお母さんと同じ目。
 あまりに異様な光景に、美春は身を震わせ、言葉を失った。
 その手を、修二は握り、歩きだした。
「……いこう」
 早足で校門を抜ける。
 教室に入ると、クラスメイトたちの視線が一斉にこちらを向いた。それまでガヤガヤとしていた朝の教室の喧騒が一瞬で静まり返る。そしてやはりどの視線も淀んだ目をしていた。親だけでなく、道ゆく人、クラスメイトのみんなまで――
 あきらかにおかしい。
 得たいの知れない現象……気持ちが悪い。
 これはどういうことか?
 自分たちに、一体何が起こっているというのか?
「……えと、みんなっ、おはよう」
 内心動揺しながらも、修二はぎこちない笑みを浮かべ、片手を挙げて挨拶をした。
 しかしそれに応える者はない。
 次には皆二人から視線を外し、教室はまたガヤガヤと喧騒を取り戻す。
「修二……」
 美春は不安げな眼差しを修二に向けた。
「大丈夫だよ。きっと、何かの間違いだ」
 修二は美春を連れ、普段仲良くしている友人たちの下に歩み寄った。
 笑顔を見せ、あくまで明るく声を掛ける。
「よぉ。おはよう」
「ん? ああ……」
 友人たちは顔をこちらに向けるも、すぐに視線を逸らした。仲が良かった関係などなかったかのような態度だ。
 修二は戸惑いながらも、めげずに次の言葉を口にしようとする。
 しかし、それを振り払うように、
「なぁ――」 
「おまえら、まだ付き合ってたの?」
「は?」
「いや、いつになったら別れんのかなって思ってさ」
 あまりに無遠慮な友人の物言いに、修二は苛立ちを覚えた。
「なんだよ、それ……」
「おまえら目障りなんだよ、さっさと別れてくれ」
 ――なんだと?
「……おまえら」
 修二は頭に血を登らせ、拳を握り込んだ。
 美春は慌ててその手を掴んだ。
「修二、やめて!」
「美春……」
 二人に邪険な態度を見せているのは、この人たちだけではない。修二が落ち着くのを確認して、美春は皆に向き直った。
「ねぇ、みんな、どうしちゃったの?」
 問いかけるも、返事はない。皆こちらに顔を向けるのも嫌な様子で、視線を逸らす。
「……私たちが、何をしたっていうの? 気に食わないことがあるなら言ってよ。言ってくれなきゃ、わかんないよ……」
 仲の良い友人に向け、声を絞り出す。
 だが、やはり反応はない。
 教室の扉を開き、担任が入ってきた。
「ホームルーム始まるぞ。席に着け」
「……」
 二人はその言葉に従い、自分たちの席に足を向けた。
 教室の真ん中の列の、一番後ろの席。修二と美春は隣同士でそこに着席した。この高校に入学したその日から、ここは常に二人の席だった。
 だが、日直の号令で、朝の挨拶を済ませると、一人の女子が手を上げて言った。
「先生、私、この席だと全然勉強に集中できないんで、席替えしたいんですけど」
「私もー」
「俺も席替えしてー」
 俺も俺も、私も私もと、皆次々に手を上げる。
 ――何?
 ――なんなんだ?
 戸惑う二人を残して、クラスの全員が手を上げた。
 席替えは一週間前に行われたばかりだというのに。
 担任の教師は、しかし特に考える素振りを見せるでもなく、冷静に言った。
「よし、じゃあ席替えをしよう」
 そうしてすみやかに席替えは行われた。
 くじ引きにより、各々席が決まってゆく。今まで特別扱いをされてきた修二と美春もくじを引かされ、席を割り当てられた。
 二人は離れ離れになった。それもくじに何か細工が施されていたのだろう、修二は廊下側一番前の席、美春は窓際一番後ろの席、と露骨なまでに遠く離されてしまった。
「さっさと別れればいいのに」
「ねー」
 周囲からクスクスとした嘲笑が聞こえる。
 二人は黙って耐え続けた。

 

(つづく)